熊本・天草など九州北西部の沿岸に伝わる、女の姿の海の妖怪。夜、停泊した舟の艫綱を伝って忍び込み、長い黒髪で眠る人の血を吸うという。
伝承
熊本・天草をはじめ、九州北西部の沿岸には「磯女(いそおんな)」と呼ばれる女の妖怪が伝わる。土地により磯女子・濡女子・海女・海姫様とも呼ばれる。浜田隆一『天草島民俗誌』(1932)は、その振る舞いを書きとめている。
舟が港に泊まる夜、磯女は艫綱を伝って舟に忍び込み、眠る人に長い髪をかぶせ、その毛で血を吸う。ゆえに見知らぬ土地で碇泊するときは、艫綱をとらず、錨だけを下ろしておく。
浜田隆一『天草島民俗誌』(1932)の記述より要約その姿は、上半身は美しい女、下半身は朧ろとも蛇のようともいい、背後から見れば岩にしか見えないとも語られる。天草・深海の里では、磯女を「千年を過ぎた浜辺のアワメ(船虫)の化身」とし、この世のものとは思えぬ美しさで人を引きつけると伝えた。泣きごらん浜や出月の浜が、その舞台として語り継がれている。

なぜ、この土地で
なぜ「艫綱をとらず、錨だけを下ろす」のか。見知らぬ港に泊まる夜の心細さ、闇に沈む海への警戒――海で働く者が肌で知っていた危うさが、磯女という一人の女の姿に託されている。磯女の話は、ただ怖がらせるためのものではない。それは「見知らぬ地では舟の綱をこう始末せよ」という、代々受け継がれた碇泊の作法そのものだった。妖怪は、暮らしの知恵を運ぶ器でもある。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
絵の出自

長い髪の女が水辺に現れて人を惑わす――濡女や海女房など、「渚の女怪」は日本各地に伝わる。石燕や国芳らの妖怪画の系譜を踏まえつつ、ここでは天草の月夜の海と、岩と見まがう黒髪で、この磯女を描いた。特定の現代作家の図像はなぞらず、いまの筆で。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
もうひとつの磯女(五島の海姫様)
五島列島の小値賀島では、磯女は「海姫様」とも呼ばれ、その正体を水死者とした(中央大学民俗研究会『常民』1963)。凪の日に女の姿で現れ、海の中にある魂を陸へ帰してくれるよう、船頭に頼むという。血を吸う怖い女の一方で、海に消えた者の哀しみを負う姿もまた、磯女なのである。
解釈
河童(いたずら)・座敷童子やオシラサマ(福・守り)・ケンムンやキジムナー(境界・隣人)に対し、磯女は"畏れ"の顔だ。だがその畏れは、海の危うさへの警戒であると同時に、渚という生者と死者の境目に立つ者への、鎮魂のまなざしでもある。怖い女にも哀しい魂にも振り切らず、渚の両義を残した。
本文は出典の内容を自分の言葉で要約したものです。原典の長文転載は行いません。異説がある場合は併記し、確認のとれた情報のみを掲載します。記載に誤り・異説をご存知の方はおたよりからお知らせください。