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絵師でたどる妖怪 第三回|歌川国芳——妖怪が、こちらへ向かってきた

連載 ・ 横串の読みもの

絵師でたどる妖怪 第三回|歌川国芳——妖怪が、こちらへ向かってきた

並んでいた妖怪は、いつから人に襲いかかるようになったのか。連載第三回。

壱 石燕の妖怪は、動かなかった

第一回で見たとおり、鳥山石燕は妖怪に「かたち」を与えた。ただしその与え方には、ひとつの型があった。白い紙の上に、一体ずつ、静かに置く。背景はほとんどない。人も出てこない。見る者は、標本を眺めるように妖怪と向き合う。

だから石燕の妖怪は、こちらに来ない。名前と姿を確かめるための絵だからである。江戸の妖怪画は、まずこの「図鑑」として立ち上がった。

弐 国芳は、妖怪を場面のなかに置いた

歌川国芳(一七九八〜一八六一)が変えたのは、そこだった。

歌川国芳「大物浦の平家の亡霊」1843〜47年 メトロポリタン美術館蔵
歌川国芳《Ghosts of the Taira at Daimotsu Bay》1843〜47年。メトロポリタン美術館蔵(JP1565, Fletcher Fund, 1929)。パブリックドメイン。

〈大物浦の平家の亡霊〉は三枚続の大画面である。右から巨大な藍の波が覆いかぶさり、その空に甲冑の亡霊が渦を巻いている。左では義経の船の武者たちが槍を構えている。妖怪はもう、見られる側ではない。船に向かって、押し寄せてくる側にいる。

歌川国芳「岡崎の猫」1850年頃 メトロポリタン美術館蔵
歌川国芳《Scene from a Ghost Story: The Okazaki Cat Demon》1850年頃。メトロポリタン美術館蔵(JP1563, Fletcher Fund, 1929)。パブリックドメイン。

〈岡崎の猫〉はさらに露骨だ。歌舞伎の一場面を描いたもので、画面の奥いっぱいに巨大な猫の顔が薄墨で浮かび、手前では役者が座り、女の亡霊が立つ。猫は背景ではない。役者と同じ空間にいて、同じ芝居に出ている。

石燕が妖怪を並べたなら、国芳は妖怪を出演させた。

参 舞台を降りても、向かってくる

夜道で提灯を掲げた男に、百鬼夜行が近づいてくる(イメージ画)
夜道に出た百鬼夜行。
*挿絵は当サイト制作のイメージ画です。

国芳の妖怪画には、もう一枚有名なものがある。荒れ果てた御所に、破れた御簾の向こうから巨大な骸骨が押し入ってくる〈相馬の古内裏〉である。骸骨は部屋よりも大きい。

このとき起きたことは、絵の技法の変化にとどまらない。妖怪は「知るもの」から「出会ってしまうもの」に戻った。もともと土地の語りのなかで、妖怪は夜道で出会うものだった。石燕がいったん紙の上に整理したそれを、国芳は芝居の力を借りて、もう一度こちらへ歩かせたことになる。

いま私たちが妖怪を思い浮かべるとき、たいてい何かをしている姿で浮かぶ。並んでいる姿ではない。その癖は、たぶん国芳のあたりから始まっている。


余 うちの筆で描いてみる

〈相馬の古内裏〉の原画は大英博物館にあり、この記事には載せられない。かわりに、うちの絵師が同じ場面を起こしてみた。滝夜叉姫が呪符を広げ、武者が膝をつき、御簾の向こうから骨が押し入ってくる。国芳の構図を写したものではなく、話だけを聞いて描いたものである。

巨大な骸骨が荒れた御所に押し入る場面(当サイト制作のイメージ画)
うちの筆で描いた〈相馬の古内裏〉。
*当サイト制作のイメージ画で、国芳の原画ではありません。

並べれば、江戸の版がどれだけ骨を知っていたかがよくわかる。国芳の骸骨は、大きいだけでなく、正しく組み上がっている。

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