壱 あの北斎が、妖怪を描いている
葛飾北斎(一七六〇–一八四九)といえば、大波と富士である。「神奈川沖浪裏」を含む『富嶽三十六景』が刊行されたのは、一八三〇年から三三年ごろ。北斎は七十代にさしかかっていた。
その同じ数年のうちに、北斎は妖怪の揃物も世に出している。『百物語』。一八三一年から翌年にかけて、中判の錦絵として刊行された。大波と富士を描いていた手が、すぐ隣で化物を描いていたことになる。
百物語とは、怪談を一話語るたびに灯りを一つずつ消し、暗闇へ近づいていく遊びである。百話目を語り終えたとき、本物の怪異が現れるとされた。

*挿絵は当サイト制作のイメージ画です。
ところが、北斎の『百物語』で現在知られているのは五図だけだ。「さらやしき」「お岩さん」「こはだ小平次」「笑ひはんにゃ」「しうねん」。
百と名乗って、五。
なぜ五図で止まったのか。そもそも何枚を予定していたのか。残りが作られたのか。それも、はっきりとはわかっていない。
弐 怪談を、一つの像に畳む
五図を並べると、作り方が見えてくる。どの絵にも、怪異を目撃して怖がる役の人間がいない。
鳥山石燕は妖怪を白い紙の上へ一体ずつ置いた。歌川国芳は妖怪と人間を同じ画面へ入れ、そのあいだに芝居を起こした。北斎は怪異だけを画面の近くまで寄せる。怖がる人物を描かない代わりに、絵を見る者自身を怪異の正面へ立たせた。

「さらやしき」を見る。お菊は皿を数えていない。顔から下が、藍の染付皿を縦に連ねた蛇のような胴になっている。井戸の板囲いから立ちのぼり、口から細い息を一筋吐く。数える声は、その一筋へ姿を変えている。

「お岩さん」では、破れた提灯そのものが顔になる。

「こはだ小平次」は、蚊帳の縁を骨の指でめくり、こちらを覗く。
「しうねん」には人の姿すらない。位牌と供えの器、そこへ巻きつく蛇だけが置かれている。「笑ひはんにゃ」では、赤子の首を両手に持つ鬼女の笑いが、逃げ場のない大きさで迫ってくる。
皿、提灯、蚊帳、位牌。そして、笑う鬼女の顔。いずれも怪談のなかで最も強く残る物や表情だ。その核を一つだけ抜き出し、一枚の像へ組み直した。
参 残ったものと、こぼれたもの
残ったのは、型である。皿を見ればお菊がわかり、破れた提灯を見ればお岩がわかる。妖怪が長い物語から離れ、絵だけで立てるようになっている。
その一方で、絵からこぼれたものもある。時間である。
播州にも番町にも皿屋敷は伝わり、土地の側にはいまも井戸が残る。そこで語られる怖さは、一枚ずつ皿を数え上げていく時間にある。九枚目のあと、次の声を待つ沈黙が怖い。北斎の絵に、その長さはない。一目で、お菊のすべてを突きつける。
百物語は、話を重ね、灯りを消し、百話目まで待って、ようやく本物を呼び出す遊びだった。五図で途絶えた北斎の『百物語』は、その題に反して、待つことをやめた絵である。
かたちを与え、かたちを定め、かたちを動かし、そして北斎は、怪談を一枚の物へ畳んだ。畳んだぶん、語る時間はこぼれた。井戸のそばで、次の数を待つ人だけが、それを拾える。
本文で触れた五図は、いずれもシカゴ美術館(Art Institute of Chicago)所蔵のパブリックドメイン作品です。掲載していない二図もふくめ、同館のページで見ることができます——さらやしき/お岩さん/こはだ小平次/笑ひはんにゃ/しうねん。刊行年は同館の記載(1831-32)によります。諸説ある箇所は断定を避けています。
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