奄美の山野で島人を引き迷わせる、ケンムンの類。幕末の絵には、人と毛深い宇婆が手を取り合う。いつもの山道の行き先が変わる。
伝承
男が、毛深いものと手をつないでいる。
幕末の『南島雑話』に描かれた一場面だ。男はもう片方の手を上げ、毛深いものは男の隣に立つ。どちらがどちらを引いているのか、絵だけでは決められない。
名は宇婆。名越左源太は、これをケンモンの類として書きとめた。
宇婆はケンモンの類にて、折々嶋人迷ひし方に、山野に引まよはす事有。
名越左源太『南島雑話』「宇婆」より。原文は松井幸一・高橋誠一の論文所収の翻刻で照合。迷った島人を、さらに山野へ引いていく。噛みつくとも、追いかけるとも書かれていない。道を失わせるのが、宇婆のすることだ。
『南島雑話』は宇婆をケンモンの類とする。人に相撲を挑み、樵夫の荷を手伝うというケンモンの話とも違い、宇婆は人を山野へ連れていく。人と妖怪の距離が近いことだけは、二つの話に共通している。

なぜ、この土地で
山に入る道は、ただ森へ向かう道ではない。奄美には、集落から次の集落へ抜ける山路がある。
金久正が採録した宇婆の居場所を引き、松井幸一・高橋誠一は、集落をつなぐ山道の中ほど、峠の平らな道を「ナガネ」と呼ぶと記す。まったく知らない奥山ではなく、人が行き来する途中の道である。
そこなら、前にも通ったはずだと思う。次の曲がり角も知っているつもりで歩く。けれど、木立の向こうに集落の明かりが見えなくなったとき、いま自分がどちらへ向かっているか、急にあやしくなる。
『南島雑話』は宇婆に連れられた特定の峠や集落名を挙げない。ナガネも一か所の名所ではなく、山路の形を表す言葉として扱う。宇婆の気配は、知っている道と知らない山が接するところに残る。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
手を取る宇婆の原画

宇婆の原画は、江戸の錦絵ではない。名越左源太が奄美で見聞したものを記した、幕末の彩色写本『南島雑話』の絵だ。
男と、全身に毛のある人型の宇婆が手を取り合う。男の腕は上がり、二人の足先はそろわない。本文は宇婆が人を引き迷わせると書くのに、絵ではどちらが先に手を出したのか分からない。
わたしたちの絵は、この二人の間にある手を見失わないように描く。写本の形をそのまま木版画と呼ばず、左源太が残した関係を、別の画面へ運ぶ。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
解釈
宇婆の話で怖いのは、見たことのない怪物が森から飛び出す瞬間ではない。
人が通う道で、手を取られることだ。原画の二人は、離れていない。手をつないだまま、道の行き先だけが変わる。
奄美で山路を歩く人が皆、宇婆を見たわけではない。それでも、木々のあいだで次の集落が見えなくなるとき、かつて道を渡った人が何を見えない相手として語ったのか、思い浮かべることはできる。
一緒に歩いているはずの相手が、どこへ連れていくのか。手の温度を確かめたくなる妖怪である。
本文は出典の内容を自分の言葉で要約したものです。原典の長文転載は行いません。異説がある場合は併記し、確認のとれた情報のみを掲載します。記載に誤り・異説をご存知の方はおたよりからお知らせください。
