猪苗代湖の水を片手ですくう手長と、磐梯山と明神ヶ岳をまたぐ足長。会津に棲んだ夫婦の怪物は、旅の僧に調伏され神になったと伝わる。
伝承
湖の水を、片手ですくう。
二つの峰を、ひとまたぎにする。
福島県会津の磐梯山には、手長と足長という夫婦の怪物が棲んでいたと伝わる。
会津盆地がまだ一面の芦谷地で、田畑も少なかった頃、手長・足長という夫婦が棲んでいた。
磐梯町『磐梯町歴史的風致維持向上計画』「山々の伝説」の内容を、本文用に現代語で要約した。手長は、猪苗代湖の水をすくって会津全体へ撒くことができた。
足長は、磐梯山と明神ヶ岳へ片足ずつ置き、二つの峰をまたいで立った。
二体は、ただ大きいのではない。湖と山を、自分の腕と脚の届く範囲にしていた。
伝承では、手長足長は悪さをして天変地異を起こす。そこへ旅の僧が現れ、二体を調伏した。僧は弘法大師だったとする説もある。

なぜ、この土地で
物語は、怪物を滅ぼして終わらない。
旅の僧は手長足長に、人々へ豊作と幸福を与える神になると約束させた。そして二体は、磐梯山頂に磐梯明神として埋められたと伝えられる。
磐梯山は、水を恵む山である一方、火山活動や荒天をもたらす山でもあった。磐梯町の歴史資料は、山が古くから神の宿る場所として崇められながら、魔物の棲む山としても恐れられてきたことを記す。
手長足長の結末には、その二つが重なる。湖水を撒き、天変地異を起こした怪物が、今度は田畑へ実りを与える神になる。恐ろしい山の力を消すのではなく、土地を守る側へ向け直す話である。
同じ磐梯町には、飯豊山を枕にする大蛇を化身とした巨大な入道が、弘法大師に調伏されて磐梯明神となる別の昔話も残る。手長足長と同じ物語とは断定できない。ただ、山の魔物が神へ変わる筋は重なっている。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
長い腕と長い脚を、二体へ分ける

寺島良安が編んだ『和漢三才図会』には、「長脚」と「長臂」が描かれている。
片方は脚だけが異様に長く、もう片方は腕だけが長い。二体は別々に立ち、同じ画面へ並ぶ。
本文には、長脚人が長臂人を負って海へ入り、魚を捕るという協働の語りもある。江戸の根付などでは、足長と手長が一組で水辺の獲物を捕る姿が立体化された。
この一枚は、磐梯山の手長足長を直接描いた原画ではない。会津の夫婦伝承の起源が、この図にあるとも断定できない。
それでも、長い腕と長い脚を別の二体へ分ける発想、そして二体を対として見る造形は重なる。土地の語りと江戸の百科図像を、同じものにせず並べて見るための手がかりである。
『和漢三才図会』の長脚・長臂は、会津伝承の直接の原画ではない。土地の語りと江戸の百科図像を同じものにせず、二体を対として見る手がかりとして並べる。
二つの身体で、土地を測る
手長の腕は、猪苗代湖から会津盆地まで届く。
足長の脚は、磐梯山から明神ヶ岳まで開く。
山や湖の大きさを、数字ではなく身体に置き換える。そうすると、広すぎる土地にも「届く」「またぐ」という感覚が生まれる。
手長足長は、会津の風景を二つの身体で測る怪物だった。
解釈
この伝承でおもしろいのは、怪物の長さより、その向きが変わることだと思う。
同じ腕が、水を撒いて人を困らせる。同じ脚が、山々を踏まえる。けれど調伏されたあと、その巨大な力は豊作と幸福を与える側へ向けられる。
怪物が神になるのは、恐れが消えたからではない。人では扱えない山と水の力を、これからは土地を守るものとして祀ろうとしたからではないか。
磐梯山を仰ぐとき、そこにいるのは退治された怪物ではない。恐れた力と、実りを願う気持ちを、同じ山へ置いた人々のまなざしである。
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