妖怪は、はじめから「あの姿」だったわけではない。川に何かがいる、夜道で何かに遭った——土地の語りのなかで、妖怪は長らく気配のままだった。その気配に、一体ずつ名前と姿を与えて描きとめた絵師がいる。鳥山石燕(とりやま・せきえん)。この連載は、妖怪の「かたち」がどこから来て、誰の筆を通っていまに届いたのかをたどる旅である。
壱 妖怪に「かたち」を与えた人
石燕は江戸中期の浮世絵師である。狩野派に絵を学び、安永五年(一七七六)、『画図百鬼夜行』を世に出した。河童、天狗、ぬらりひょん——語りのなかに散らばっていた妖怪たちを、一体ずつ、名前を添えて描いた画集である。以後『今昔画図続百鬼』『今昔百鬼拾遺』『画図百器徒然袋』と続き、描かれた妖怪は二百体を超える。
これは、いまでいう図鑑の発明だった。それまで妖怪は、絵巻のなかで群れとして流れていくか、語りのなかで姿の定まらないものだった。石燕は一体ずつを立ち止まらせ、正面から描いた。私たちが「河童といえばあの姿」を思い浮かべられるのは、多くの場合、この仕事が起点にある。
弐 闇が描かせたもの
石燕の生きた江戸に、電気の光はない。行灯と蝋燭のほかは、夜はほんとうの闇だった。橋の下、淵の底、蔵の隅——見えない場所が家のすぐそばにいくらでもあり、人はそこに「何かいる」と感じることができた。石燕の筆は、その闇の余白に輪郭を与えた仕事である。怖がらせるためではなく、みなが感じていた気配を、共有できるかたちにするために。
参 かたちは受け継がれる
石燕のかたちは、その後の絵師たちに受け継がれた。門下からは喜多川歌麿が出て、のちの葛飾北斎や歌川国芳も、妖怪を描くとき先人のかたちを踏まえた。昭和には水木しげるが、この江戸のかたちを丹念に調べ、漫画の筆で現代によみがえらせている。すでにあるものは、できるだけ、すでにあったかたちのままで——それがこの系譜の作法である。
当サイトの妖怪の絵も、この作法に連なることを目指している。石燕たちが定着させたかたちを起点に、いまの筆で、土地の気配ごと描き直す。連載の次回からは、一枚の絵、一体の妖怪ごとに、かたちの来歴をたどっていく。
主な参照: 鳥山石燕『画図百鬼夜行』(安永五年・一七七六)ほか続編三部。原本は国立国会図書館デジタルコレクション等で公開されている(パブリックドメイン)。本連載の記述は公刊資料に基づき、諸説ある箇所は断定を避けています。
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