宮崎・日向の夜の山道に、人のかたちの大きな影となって立つ妖怪。名は「山伏」に由来し、子を戒める里の語りのなかに生きてきた。
伝承
日向の山は、修験の山だ。行者——山伏たちが分け入り、祈り、行を積んだ峰々が、里をとり囲んでいる。その山伏の面影が、夜の山道にぬっと立つ大きな影となって語り継がれた。里の人はこれを「ヤンブシ」、あるいは「ヤンボシ」と呼んだ。名のもとは、そのまま「山伏(やまぶし)」である。
坊主の首を縊(くく)った所には必ず出る。夜、山に行くとヤンブシが隠してしまう。子供が鳴くとヤンブシが来る。
日野巌「日向地方妖恠種目」より(宮崎県総合博物館研究紀要 第三五輯・小山博 2015 が引用整理)こんなふうに伝えられている。──夜の山道を行くと、前方に人のかたちの影が、ぐうと立ちあがって広がる。気づいて走って逃げても、影は追ってくる。狙われたら、さらわれるのを覚悟せねばならない。けれど、人の側がヤンブシに気づかぬときには、ヤンブシのほうも人を気にかけぬことが多いという。
鹿児島の大隅にも同じ名の伝えがあり、奄美では髪を振り乱した姿で恐れられた。南の山々と島々をつなぐように、ヤンボシの影は語られてきた。

なぜ、この土地で
日向は、古くから山岳信仰の濃い土地だ。山伏が行を積んだ峰は、里の人にとって畏れと敬いの入りまじる場所だった。山に分け入ること自体が、日常と神域の境を越える行為だったのである。「夜、山に行くと隠される」「子が泣くと来る」という語りは、危うい時間と場所から人を遠ざける、暮らしの戒めとして働いた。「坊主の首を縊った所に出る」という一節には、山中で果てた者への畏れと弔いの感覚がにじむ。ヤンボシとは、おどろおどろしい怪物である前に、山と共に生きる人々が引いた「夜の境界線」そのものだったのだろう。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
絵の出自

夜道に立ち、見上げるほどに伸びあがる影。鳥山石燕や歌川国芳らが描いた「見越入道」——伸びあがる影の系譜をたどり、深い藍の夜に山伏の影を小さく置いた。描きこまず、杉木立の闇に余白を残す。恐ろしげに大写しにするのではなく、霧のむこうにひとつの気配として。畏れとは、引き算で立ちのぼるものだから。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
南の山に立つ影たち
ヤンボシ・ヤンブシは、宮崎から鹿児島の大隅、そして奄美へと、南九州から南西諸島にかけて語られた。「見上げるほど大きくなる影」という像は、全国の見越入道・高入道・伸上りとも響きあう。九州のもう一体、大隅の一反木綿とならべると、南の夜にうごめく影たちの地図が見えてくる。
解釈
ヤンボシは、人をさらう怖い影として語られる。けれどその怖さは、脅すためだけのものではない。夜の山がはらむ本当の危うさ——道に迷い、谷に落ち、帰れなくなること——を、子から孫へ伝えるための器でもあった。「山伏」に由来する名は、この影が修験の土地の記憶と分かちがたいことを示している。河童が水の畏れを、座敷童子が家の福を映すように、ヤンボシは山の禁忌を映す。怖い話のかたちを借りた、土地の知恵である。
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