高松から丸亀へ続く入海で、三里離れた山々をまたいで手を洗う。名も素性もわからないまま、その動作だけで呼ばれた讃岐の巨人。
伝承
讃岐の海を見下ろす。
右の山に片足。左の山に、もう片足。毛深い巨体が谷と海をまたぎ、腰を折って両手を水へ浸している。人を襲っているのではない。ただ、手を洗っている。
桃山人の『絵本百物語』に、竹原春泉斎が描いた「手洗鬼」である。
讃州高松より丸亀へかよふ入海あり。其間の山々三里をまたげて手をあらふものあるよし。名はいかゞにや知らず。たゞ讃岐の手あらひ鬼といふ。
『絵本百物語』「手洗鬼」の画中文字より。読みやすい字体に改めた。書かれているのは、これだけである。
どこから来たのか。なぜ海で手を洗うのか。その前に何をしていたのか。『絵本百物語』は何も足さない。名前さえ「いかがにや知らず」とする。
残ったのは、三里離れた山々をまたぐ大きさと、手を洗うという動作だけ。その動作が、そのまま妖怪の名になった。

なぜ、この土地で
原文が指すのは、讃岐国の高松から丸亀へ通じる入海である。具体的にどの山へ足を掛けたかは書かれていない。後世の地図から、二つの山を決めてしまうことはできない。
けれど讃岐には、地形を巨人の身体で読む話が、いまも残っている。
丸亀市と坂出市にまたがる飯野山。讃岐富士とも呼ばれるこの山には、「おじょも」という大男が瀬戸の海をひとまたぎし、運んできた土を落として山を造ったという話が伝わる。山頂近くには、おじょもの足跡とされる巨石もある。
手洗鬼とおじょもが同じ巨人だった、とは原典にない。だが、山を土の山として見るだけでなく、誰かが置いたもの、またいだもの、足跡を残したものとして見る目は重なる。
瀬戸内海をはさんで、小さな山々がいくつも浮かぶ讃岐の景色。その高低差をひとつの身体でつないだとき、手洗鬼の大きさが立ち上がる。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
海を洗面器に変えた一枚

「手洗鬼」は桃山人の『絵本百物語』に収められ、竹原春泉斎が描いた。
原画の巨人に角はない。全身は毛深く、腰に布を巻き、深く折った身体の下からこちらを見ている。両足は画面の左右の山へ置かれ、両手だけが海面へ届く。
山のふもとの家は、指先よりも小さい。海上の舟も、巨人にとっては水面に浮かぶ木片ほどである。春泉斎は身体だけを大きく描いたのではない。家と舟を添え、人が暮らす土地そのものを、巨人の洗面器へ変えた。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
解釈
手洗鬼は、人を食わない。舟を沈めない。山を壊すとも書かれていない。
していることは、誰でもする手洗いである。見慣れた動作なのに、使っている水が海で、足場が山になる。それだけで日常の尺度がひっくり返る。
名前も、来歴も、目的もない。だから原画を見る者は、空いたところを自分の土地で埋める。あの山なら片足を置ける。あの岬まで手が届く。いつもの海が、一体の妖怪の身体へ組み替わっていく。
手洗鬼が残したのは、話の続きではない。讃岐の山と海を、別の大きさで見る目だった。
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