もののけみーつけた YOKAI FOLKLORE
タンタンコロリンの浮世絵

東北 ・ 宮城県 宮城県

タンタンコロリンたんたんころりん

Tantan-kororin (The Persimmon Tree That Stood Up) ・ 手を離れた木の妖怪

実を採らずにおいた古い柿の木が、大入道になって歩き出す。宮城に伝わる。祟りもせず、ただ夜の町をころがるように過ぎていく。

伝承

秋が深くなっても、柿が木に残っている。

誰も採りに来ない。鳥がつついて、熟れすぎたものは落ちる。それでも落ちきらないものが、枝の先で黒くなっていく。

——そういう木が、夜になると立ち上がる。

タンタンコロリンは、古い柿の木が化けた大入道だという。柿の実を採らずにおいておくと、これになる。コロリンというのは、ころがってくるという意味か。今は言い伝えにすぎない。

柳田国男「妖怪名彙(三)」(『民間伝承』三巻十二号・1938)および『宮城縣史 民俗3』(宮城県史刊行会・1956)の記述より要約

短い。これだけである。

祟った話がない。誰かを取って食った話も、病にした話もない。大きな影になって、夜の町を過ぎていく。それだけが伝わっている。

そして県史は、続けてこう書いた。今は言い伝えにすぎない。——書きとめた本人が、もう誰も信じていないと断っている。

もうひとつ、正直なところがある。「コロリンというのは、ころがってくるという意味か」。名前の意味が、書きとめた時点でもう分からなくなっていた。

タンタンコロリンの場面

なぜ、この土地で

宮城の家には、屋敷をぐるりと囲む木がある。いぐね、と呼ぶ。居久根と書く。

風の通る平野なので、家の北と西に高い木を並べて風を止める。岩手や福島、山形の一部でも同じ呼び方をする。江戸時代の中ごろには、もうあったという。

いぐねは風よけだけの林ではない。杉や欅のあいだに、食べられる木が混ざる。栗、梅、そして柿。垣根の内側で、暮らしの届く距離に実がなっていた。

たんころりんが出るのは、そういう木である。山の奥ではない。屋敷のなかの、毎年採っていたはずの木だ。

いまも仙台にいぐねは残っているが、減っている。仙台市は、戻りにくい理由をこう書いている——生活様式の変化と、管理の難しさ。

絵の出自

この妖怪の「かたち」は、どこから来たか

大入道ではなく、木として描いた

タンタンコロリンの浮世絵

この妖怪の絵は、江戸にも宮城にも見当たらない。柳田が書きとめたのは、名前と、一行の説明だけだった。

だから本記事の絵は、一次の言葉から起こしている。

一次は「古い柿の木が化けた大入道」と書く。けれど、その一文の主語は柿の木のほうである。大入道は、化けたあとの見え方にすぎない。

そこで、木のかたちのまま立たせた。坊主頭は描いていない。上にあるのは枝と葉の塊で、顔はどこにもない。

実は、ひとつずつ目を開けている。採られなかった実の数だけ、目がある。採っていれば、その目はなかった。

遠くからは、大きな影に見える。近づくと、木である。

石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。

ひとつ残す、の名前たち

木守りの呼び名を並べてみると、土地の数だけある。

キマブリ、キモリ、キマムリ。滋賀の高島ではキマブシ。奈良の吉野ではキマツリ。ほかにタネガキ、ズスモリ、タナツギ、ミノコシ、トミ。

やっていることは全部同じで、柿をひとつ残す、それだけである。それなのに名前がこれだけ分かれた。同じ手つきに、土地の数だけ名前がついた。

たんころりんの名前も、ひとつではない。一次に載っているのはタンタンコロリンで、たんころりんはあとから流れた形である。呼びやすいほうが残った。

解釈

柿を採るとき、全部は採らない。

ひとつだけ、高いところに残しておく。木守りという。木守柿とも書く。来年もよく実るように、あるいは鳥のために、と言い伝える。呼び名は土地ごとに違っていて、キマブリ、キモリ、タネガキ、キマツリ、ミノコシ——ずいぶんたくさんある。それだけ、どこでもやっていたということだ。

つまり、柿を残すこと自体は、悪いことではない。むしろ作法である。

たんころりんは、その裏返しに立っている。

ひとつ残すのは、来年への約束である。全部残すのは、その木を見捨てたということだ。同じ「残す」なのに、どこかに境目がある。その境目を越えた木が、化ける。

本媒体がこの妖怪の入口に差し出す一語は「居座り」とした。採られないまま、そこに在りつづけること。追い出されたのでも、呼ばれたのでもない。手が来なくなった場所に、そのまま残っている。

そう考えると、県史の一行が効いてくる。「今は言い伝えにすぎない」。

たんころりんが消えたのは、人が妖怪を信じなくなったからではないのかもしれない。屋敷に柿の木があって、秋になったら採る、という暮らしのほうが先になくなった。採る手がなくなれば、採り忘れも起きない。

化けるきっかけを失って、消えた妖怪である。

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