夜の川辺を通ると「しょきしょき」と小豆を研ぐ音がする。近づいても姿は見えない——島根・出雲の妖怪。松江には「小豆とぎ橋」が実在し、石燕の絵にも残る。
伝承
夜、川のそばを歩いていると、どこからか音がする。しょきしょき、さらさら――小豆を、研いでいるような音である。振り返っても、誰もいない。島根・出雲に伝わる、小豆洗いの話である。
「小豆とごうか、人取って喰おうか、しょきしょき」――そう唄いながら、川辺で小豆を研いでいるのだという。音のするほうへ近づいても、姿はめったに見えない。ときに、音に気を取られて足を滑らせ、淵に落ちる者があった。それを、この妖怪の仕業とした。
出雲ほか各地の伝承、および鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776)より要約小豆洗いは、島根だけのものではない。山梨、新潟、秋田、群馬、京都、東京、愛媛――全国の水辺に、小豆とぎ、小豆研ぎ、砂洗いなど、さまざまな名で伝わっている。共通するのは、いつも「音」だということ。姿を見た、という話は、驚くほど少ない。

なぜ、この土地で
松江は、水の街である。小泉八雲が愛したこの城下町は、堀と川に囲まれ、夜になると水の音がよく響く。城下の普門院のそばには、いまも「小豆とぎ橋」と呼ばれる橋が残っている。夜、ここで謡曲「杜若」を口ずさむと、災いが起きる――そう言い伝えられてきた。なぜ小豆なのか、なぜ橋なのか。理屈は分からない。ただ、水のある土地には、たいてい音の怪がいる。闇のなかで聞こえる音に、人は「かたち」を与えずにいられなかったのだろう。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
音に、かたちを与える

小豆洗いは、もともと「音」だけの怪だった。姿を見た者はほとんどいない。それに目鼻をつけて描いた絵師が二人いる。鳥山石燕『画図百鬼夜行』(安永五年=一七七六)と、竹原春泉斎『絵本百物語』(天保十二年=一八四一)である。とりわけ春泉の描いた――渓流のほとりで曲物の桶を抱え、大口を開けて笑いながら豆を研ぐ姿は、いま私たちが思い浮かべる小豆洗いの、直接の親といっていい。見えないものに、かたちを与える。妖怪画とは、そういう仕事だった。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
なぜ、姿を見せないのか
闇が本当に暗かったころ、夜の川は音の世界だった。せせらぎ、風、虫、そして得体の知れない何か。姿の見えない音は、正体が分からないぶん、いくらでも恐ろしくなれる。小豆洗いは、その「見えなさ」そのものを妖怪にしたものだ。だから絵師が姿を描いても、伝承のなかの小豆洗いは、いつまでも音のままでいる。夜の水辺を歩くとき、耳をすませてみるといい。
解釈
むじな(顔がない)や磯女が"見えてしまう恐怖"なら、小豆洗いは"見えない恐怖"である。姿はない。ただ音がある。それがかえって、想像をかき立てる。しかも人を殺すわけではなく、ただ小豆を研ぎ、ときに人を水に落とすだけ。愛嬌と不気味さの、ちょうど境目にいる妖怪だ。
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