山奥に棲む恐ろしい鬼女は、江戸の浮世絵で金太郎を抱く母になった。足柄に残る伝説と歌麿の一枚から、山姥の二つの顔をたどる。
伝承
まだ昼のはずなのに、山道が急に暗くなった。
善光寺へ向かう一行が、越中と越後の境にある険しい山へ入ったときのことである。人里は遠い。今夜の宿もない。そこへ、一人の女が現れた。
私の庵で、夜を明かしなさい
能《山姥》より(詞章の要約。原文の逐語引用ではありません)女は一行を山の住まいへ案内すると、ひとつだけ願いを口にした。都で流行している、山姥の歌を聞かせてほしいという。
やがて女は、自分こそ歌にされている山姥だと明かす。月が上がるころ、異形の姿で戻ってきて、深い山を巡りつづける身の上を舞い、夜明けとともに山へ消える。
山姥は、人を襲うだけの老婆ではない。人の通れない道を歩き、春夏秋冬の山を巡り、山で生きる苦しさそのものを引き受けた女として舞台に立つ。

なぜ、この土地で
ところが足柄へ行くと、山姥は別の顔を見せる。
神奈川県南足柄市の地蔵堂には、金太郎の生家跡、遊び石、産湯に使ったとされる夕日の滝が残る。堂の中には「山姥像——金太郎の母」も納められている。
けれども、市が伝える金太郎の母の名は山姥ではない。四万長者の娘、八重桐である。
八重桐は一族の争いを逃れて地蔵堂へ戻り、金太郎を産んだ。金太郎は山を庭のように駆け回り、やがて源頼光に見いだされ、坂田金時となったという。
同じ土地の伝説のなかに、八重桐という母と、山姥という母が並んでいる。
どちらか一方が間違いなのではない。金太郎の物語が語り継がれる間に、名のある土地の女と、名を持たない山の女が重なっていったのである。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
歌麿は、山姥に子を抱かせた

The Metropolitan Museum of Art 蔵/作品番号 JP981
パブリックドメイン(The Met Open Access)
喜多川歌麿は、山姥と金太郎を繰り返し描いた。
ここに載せた《山姥と金太郎》では、山姥は皺だらけの鬼女ではない。長い髪をほどいた若い女が、赤い顔の幼子を胸元に抱いている。金太郎は山姥の髪をつかみ、山姥はその顔をのぞき込む。
メトロポリタン美術館によれば、歌麿が描いた山姥と金太郎の母子図は三十点を超える。髪を梳く。乳を飲ませる。力比べを見守る。山の鬼女は、一枚ごとに暮らしのなかの母へ近づいていった。
江戸の人が山姥の恐ろしさを忘れたわけではない。恐ろしい山の女にも、子を抱く手があると想像したのである。
歌麿のこの一枚は、江戸の版そのものです。当媒体の描き下ろしではありません。ほかの絵は、いまの筆で起こしたものです。
解釈
山姥には、一つの正体がない。
能では、山を巡りつづける異形の女。足柄では、金太郎のそばに立つ母。土地の話では八重桐と呼ばれ、歌麿の絵では山姥と呼ばれる。
人か、鬼か。産みの母か、山の母か。
どちらかに決めた瞬間、山姥は小さくなる。
山の外から見れば恐ろしい。山の中で子どもから見れば、背に乗せて運んでくれる。その両方を抱えたまま、山姥は金太郎の母になった。
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