森や神社の陰を通ると、砂がばらばらと降ってくる。姿を見た人はいない。それでも奈良では、砂かけ婆と呼ばれていた。顔も体もないまま、名だけが残る怪異。
伝承
砂だけが、先に来る。
淋しい神社の森陰を通ると、どこからともなく、ばらばらと砂が降りかかる。驚いて振り返っても、そこには誰もいない。
奈良では、その見えないものを「スナカケババ」と呼んだ。
姿を見た人は無いといふ(大和昔話)のに婆と謂って居る。
柳田国男「妖怪名彙」『民間伝承』3巻11号、1938年。日文研公開PDFによる。記録に、婆の顔も、着物も、杖も出てこない。あるのは森陰と、砂の音と、驚く人だけである。
しかも「婆」という名は、誰かがその姿を確かめた結果ではない。見た人がいないのに、そう呼ばれている。柳田はその食い違いを一行の終わりに残した。
砂かけ婆は、老婆が砂を投げる話というより、正体の見えない出来事へ、あとから老婆の名を置いた妖怪だった。

なぜ、この土地で
森の陰にいた砂は、別の場所では雨になる。
奈良県河合町の廣瀬大社では、毎年2月11日に御田植祭が行われる。通称は「砂かけ祭」。田人と牛役、参拝者が、砂を雨に見立てて掛け合い、五穀豊穣を願う。
砂かけ婆と祭りが同じ由来を持つ、という一次記録は今回確認できなかった。妖怪の出た市町村さえ、古い記録には書かれていない。だから二つをひとつの話にはしない。
ただ、奈良では砂が、人を驚かすものにも、雨を呼ぶものにもなった。森陰で突然降れば怪異になり、神前で皆が降らせれば祈りになる。同じ砂が、場所によってまるで違う意味を持つ。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
姿を描かなかった理由

砂かけ婆の古い記録には、姿の説明がない。むしろ「姿を見た人は無い」と、はっきり書かれている。
そのため本記事では、老婆の姿を描かない。神社の森陰、斜めに降る砂、身をすくめて振り返る旅人を描き、見えないところに何かがいるという伝承を画面にした。
現在よく知られる老婆の姿は、後世の絵や物語のなかで定着したものとして分けて考える。ここで再現するのは、その姿より前に記録された、砂だけが降ってくる瞬間である。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
解釈
名はある。姿だけがない。
何かを見たから名づけたのではなく、何も見えなかったから、名が要ったのかもしれない。風か、木の上の獣か、誰かのいたずらか。分からないままでは、次にその道を通る人へ伝えにくい。
「あそこには、砂かけ婆がいる」
そう呼べば、見えない出来事にも居場所ができる。顔も体もないまま、妖怪は森の陰に残る。
本文は出典の内容を自分の言葉で要約したものです。原典の長文転載は行いません。異説がある場合は併記し、確認のとれた情報のみを掲載します。記載に誤り・異説をご存知の方はおたよりからお知らせください。