両手に百の目を光らせ、藤原秀郷の矢を受けた大鬼。四百年後に娘へ姿を変え、本願寺の教えで悪心を捨てた物語が宇都宮に伝わる。
伝承
手のひらに、百の目が光る。
宇都宮に伝わる百目鬼は、腕に目のある女ではない。両手に無数の目を光らせる、三メートルほどの大鬼だった。
その鬼を待ち伏せたのが、下野国にゆかりを持つ武将・藤原秀郷である。
馬捨場に現れた大鬼は、両手に百もの目を光らせていた。
宇都宮市公式「宇都宮のヒーローと妖怪百目鬼のお話」の内容を、本文用に現代語で要約した。秀郷は弓を引き、最も強く光る目を狙った。放たれた矢は鬼の急所を射抜き、鬼は明神山の後ろで姿を消した。
けれど、物語は退治で終わらない。
それから四百年後。塙田村の本願寺に、徳の高い僧の説教を毎日聞きに来る若い娘がいた。
娘の正体は、秀郷に射られた鬼だった。鬼は長岡の百穴へ身を潜めて傷を癒やし、娘の姿で町へ出ては悪さをしていたという。
説教を重ねて聞くうち、鬼は心を改めた。二度と悪さをしないと誓い、爪と角を残して消えたと伝えられる。

なぜ、この土地で
百目鬼の物語は、宇都宮の地形をいくつもつないでいる。
秀郷が鬼を射た馬捨場。鬼が消えた明神山。傷を癒やした長岡百穴。娘が説教へ通った塙田の本願寺。そして現在も名を残す百目鬼通り。
長岡百穴は、凝灰岩の丘陵に横穴が並ぶ場所である。宇都宮市の公式物語は、矢を受けた鬼がこの穴へ身を隠したと語る。
鬼を一つの洞穴へ閉じ込めるのではなく、山の後ろへ消え、丘の穴へ潜み、娘として町へ戻す。姿を変えた百目鬼は、郊外から寺町までを行き来する。
栃木県立図書館の調査では、百目鬼の伝説は大きく三つの型に分かれる。秀郷が鬼を射る話、本願寺で美女姿の鬼が帰依する話、そして年代の異なる参詣譚である。現在よく知られる物語は、それらが結びついた一つの語り方であり、土地には別の型も残る。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
女の腕に並ぶ目、別系統の百々目鬼

鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』に、「百々目鬼」と題する女の姿を描いた。
着物の袖口から出た腕には、いくつもの目が並んでいる。宇都宮の公式物語に登場する、両手に百の目を光らせる三メートルの大鬼とは姿が違う。
読みも近く、目の集まる身体という共通点はある。けれど石燕の一枚を、宇都宮の百目鬼を直接描いた原画とはしない。大鬼の伝承と、江戸の妖怪図像を同じものへまとめず、二つの系統として並べる。
石燕の百々目鬼は、宇都宮伝承の百目鬼を直接描いた原画ではない。土地の大鬼伝承と江戸の女性型図像を同一視せず、別系統の比較資料として並べる。
退治された鬼が、説教を聞く
百目鬼の物語には、二度の決着がある。
一度目は、秀郷の矢である。百の目のうち、最も光る一つを射抜く。怪物退治の物語なら、そこで終わってもよい。
二度目は、四百年後の説教である。娘に姿を変えた鬼は、毎日寺へ通い、言葉を聞き続ける。力で倒された鬼が、長い時間を経て、自分から悪心を捨てる。
矢は鬼の急所を射た。説教は、その後も残っていた心へ届いた。
解釈
百目鬼は、「見られること」の妖怪だと思う。
両手の百の目は、暗闇から人を見返す。けれど最も強く光った目は、秀郷に見つけられ、矢の的になった。
娘の姿になってからは、鬼は説教を聞く側になる。百の目で外を見張っていたものが、寺へ通い、自分の内側を見直していく。
退治された怪物が、四百年後に自分から爪と角を置く。その長い時間があるから、百目鬼は単なる鬼退治ではなく、土地に残る改心の物語になったのだと思う。
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