夜の三上山を揺らし、二、三千の松明のような脚で迫る大百足。瀬田唐橋に立つ俵藤太が、残る一本の矢で眉間を射抜いたと語られる。
伝承
夜の三上山に、二、三千の松明がともった。
けれど、それは火ではない。
山を揺らし、雷のような音を立てて近づく、大百足の脚だった。
近江国の瀬田唐橋に伝わる大百足退治では、この怪物を弓で待ち受けた武将がいる。藤原秀郷、物語の中では俵藤太と呼ばれる男である。
二、三千の松明に見えたものは、大百足の脚だった。頭は牛鬼のようで、その大きさはたとえようもなかった。
広島大学図書館デジタルアーカイブ『たはら藤太』上巻の翻刻を、本文用に現代語で要約した。物語の始まりは、百足ではなく大蛇である。
瀬田唐橋の上に、二十丈もあるような大蛇が横たわっていた。目は二つの太陽のように輝き、十二の角は冬枯れの森の梢のようだったという。人々が近づけずにいるなか、秀郷は大蛇の背を踏み、そのまま振り返らず渡った。
夜、大蛇は女の姿で秀郷を訪ねる。自分は近江の湖に住むものだが、三上山に現れた百足に苦しめられている。退治できる者を探していた、と頼んだ。
秀郷は瀬田へ戻り、三本の矢を用意して待った。
一の矢も、二の矢も、鉄板へ当たったように跳ね返された。残ったのは一本だけ。秀郷は矢尻へ唾をつけ、八幡大菩薩へ祈り、眉間を狙った。
矢が当たると、松明のような脚は一度に消え、雷のような音も止んだ。秀郷が近づくと、そこには牛鬼のような頭を持つ、たとえようもなく巨大な百足が倒れていた。
竜女は礼として、使っても尽きない巻絹、米俵、望む食べ物が出る鍋を贈る。秀郷が「俵藤太」と呼ばれる由来も、この尽きない俵へ結びつけて語られる。

なぜ、この土地で
大百足の物語は、琵琶湖の南から東へ、大きく景色を渡る。
始まりは、琵琶湖から流れ出す瀬田川に架かる瀬田唐橋である。大津市の文化財マップには、橋の下に住む竜神が秀郷へ百足退治を頼んだこと、橋の東詰近くに秀郷を祀る龍王宮秀郷社と、伝説の遺品を伝える雲住寺があることが記される。
そこから湖の東へ目を移すと、三上山が立つ。円錐形の姿から近江富士とも呼ばれる山で、野洲市の歴史文化計画にも、俵藤太の百足退治伝説を伝える山として記録されている。
大津の公式観光案内では、大百足は三上山を七巻半するほどだったとされる。
橋に立つ一人の弓取りと、山を巻く怪物。土地の距離そのものが、百足の大きさを見せる仕掛けになっている。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
春亭が三枚続に置いた、大百足退治

勝川春亭は、一八一五年から二〇年頃、大百足退治を三枚続の木版へ描いた。
画面の奥から、節の連なる大百足が大きな顔を突き出す。手前には弓を構える武者たちと竜女が置かれ、怪物と人の大きさが一目で分かる。
米国議会図書館は、この作品を『Fujiwara no hidesato no mukade taiji』として公開し、出版利用について既知の制限なしとしている。
一方、国立国会図書館には、百足退治と竜宮行きを描く『俵藤太秀郷繪巻』が残る。大百足の姿は一人の絵師が決めたものではなく、絵巻、奈良絵本、木版へ移るたび、山を覆う長さや、顔の形、秀郷との距離を変えて描かれてきた。
今回の解釈画は、春亭の三枚続をそのまま写さない。原典にある「松明のような脚」「牛鬼のような頭」と、瀬田唐橋から三上山へ届く尺度を手がかりに、一本の矢が届く直前の場面を組み直す。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
松明が、脚に変わる
大百足は、最初から全身を見せない。
暗い山に光が連なり、雷のような音が近づく。秀郷にも、遠くから見えたのは二、三千の松明だった。
怪物だと分かるのは、倒したあとである。火だと思ったものは脚、雷だと思ったものは大地を踏む音だった。
『たはら藤太』は、見間違いを一つずつ怪物の身体へ変えていく。人が山の夜に見た光と聞いた音をつなぎ、山ほどの百足を立ち上げる。
解釈
大百足の恐ろしさは、脚の数だけではない。
一の矢も二の矢も通らない。最後に残った一本へ唾をつける。英雄の武勇譚でありながら、決着をつけるのは、立派な宝剣でも特別な弓でもなく、人の口から出たものだった。
巨大な怪物へ届くものが、もっとも身近で小さな身体の一部である。その逆転が、この退治を忘れにくくする。
山を揺らすほど大きなものに向かっても、残る一本を手放さない。大百足は、俵藤太の強さを見せる敵であると同時に、「まだ一本ある」と気づかせる怪物なのだと思う。
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