三つの首が真鶴の海へ落ちても、争いだけは終わらない。夜は火を吐き、昼は巴形の波を立てると、桃山人の『絵本百物語』は書く。
伝承
三人とも、もう首しか残っていない。
それでも一人が噛みつけば、別の一人が睨み返す。髪は絡まり、三つの顔は海の上で離れない。夜には口から火が出て、昼には三つ巴の波が立ったという。
名は舞首。桃山人の『絵本百物語』で、竹原春泉斎が描いた。
三人は首だけになっても一所に集まり、火を吐き、互いに罵り争ったという。
『絵本百物語』「舞首」の画中文字より。読みやすい表記に改めた。本文では、小三太・又重・悪五郎という三人が、ささいな争いから斬り合いになったと語る。首が海へ落ちたあとも争いは止まらず、その海面は三つ巴に渦を巻いた。そこを巴が淵と呼ぶようになったという。
ところが、同じ作品の絵に添えられた文は筋が少し違う。三人は博打の咎で死罪となり、遺骸を流されたあと、首が集まって火を吐き、罵り合ったと書く。
斬り合ったのか、処刑されたのか。どちらの筋でも変わらないのは、死んだあとまで三人が同じ輪から抜けられないことだ。

なぜ、この土地で
物語の海は、真鶴に置かれている。
真鶴半島は相模灘へ細く突き出し、その先端には三ツ石がある。約十五万年前の溶岩でできた岩礁で、潮が大きく引くと、海の中から石の道が現れる。
舞首の三つの首と、三ツ石の三つの岩。数が同じだからといって、二つを結びつける資料はない。物語に出る巴が淵が、現在の三ツ石海岸を指すとも確認できない。
それでも、真鶴の海では、潮の高さひとつで道が現れたり消えたりする。岩に当たった波は二つに分かれ、戻る波とぶつかって向きを変える。江戸の本がこの海に置いたのは、三つの首だけではない。争いが水の形になって残る場所だった。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
斬られた瞬間を描かなかった

「舞首」は、桃山人の『絵本百物語』に収められ、竹原春泉斎が描いた。
原画に胴体はない。三つの顔だけが髪を絡ませ、噛みつき、海面すれすれに集まっている。血も傷口も描かれず、首の下は波と髪に隠れる。春泉斎が見せたのは斬られた瞬間ではなく、争いだけが残ったあとの姿である。
画面の下では、波が丸い渦をつくる。右の口からは細い火が伸びる。三人の怒りは顔の内側に収まらず、火と波になって海へ広がっている。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
解釈
三人のうち、最後に勝った者はいない。
全員が首になり、それでも全員が相手を離さない。争いの理由より、争い続けていることのほうが大きくなっている。生きていたころの身体も、武器も失ったのに、相手へ向ける口だけは残った。
舞首は、誰か一人の怨霊ではない。三人そろって、ひとつの怪異になる。相手がいなければ成立せず、相手がいるかぎり終われない。
海で渦を見た昔の人は、水が同じ場所を回り続ける姿に、終わらない口論を重ねたのかもしれない。舞っているのは首ではなく、出口を失った争いである。
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