遠野の旧家にまつられる「家の神」。桑の木の小さな神像をまつれば家が栄え、田植えには童の姿で現れて手伝ったと伝わる。
伝承
遠野の古い家には、「オクナイサマ」という神がまつられている。多くは桑の木で削った小さな像で、オシラサマとよく似ている。この神を粗末にせず、心をこめてまつる家は、富み、栄えるという。家の守り神であり、田畑の神でもあった。
こんな話が残っている。──ある年、田植えの人手がどうしても足りず、困りはてた家があった。すると、どこからともなく小さな童(わらし)が現れて、黙々と苗を植えていく。みるみる田は緑にうまっていった。日が暮れるころ、童の姿は田の霧にまぎれて、いつのまにか消えていた。家の者が戻ってオクナイサマの像を見ると、その腰から下が、田の泥にびっしりとまみれていたという。神が、童の姿で、田植えを手伝ってくれたのだった。

なぜ、この土地で
遠野は、早池峰や六角牛の山々に抱かれた、田と南部曲り家の郷。人と馬と神が、ひとつ屋根の下で暮らした土地だ。オクナイサマは、その暮らしのいちばん奥——神棚や土間にまつられて、家族の働きをそっと支えていた。華やかな社をもつ神ではない。田に出て、泥にまみれて、人と一緒に汗をかく。遠野の神は、いつも暮らしのとなりにいる。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
絵の出自

桑の木に宿る遠野の家の神を、広重の静かな山景と石燕の妖怪画の系譜で描いた。華美にせず、夕暮れの田と霧の山にまぎれる神の気配を、藍の濃淡に託している。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
オシラサマとのつながり
オクナイサマは、同じ桑の木で作られるオシラサマと、しばしば一緒に語られる。どちらも家のなかにまつられる神で、遠野の人々の暮らしと信仰の深さを、今に伝えている。
解釈
オクナイサマは、家と農を守る「家の神」。童の姿で田植えを手伝うという伝えは、神が遠い天上ではなく、人の労働のすぐそばに宿るという、遠野の素朴な信仰のかたちを映している。オシラサマと並んで、遠野の家々にまつられてきた、暮らしの神である。
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