京都・鞍馬山の奥、僧正ヶ谷に棲むと伝わる大天狗。赤ら顔に高い鼻、山伏の姿で神通力をふるい、牛若丸(源義経)に剣術と兵法を授けたという。
伝承
京都・鞍馬山の奥、僧正ヶ谷には、大天狗が棲むと伝えられてきた。名を鞍馬山僧正坊という。赤ら顔に高い鼻、山伏の装束をまとい、羽団扇を持ち、背に翼を負う。空を飛び、剣術と兵法に長けた、日本の大天狗の筆頭である。
僧正が谷にて、天狗・化物の住む所へ夜な夜な行て兵法をならひ――幼き牛若丸は、夜ごと鞍馬山の奥へ通い、天狗に兵法と剣術を学んだと語られる。
『平治物語』(古活字本)の記述より要約。『義経記』にも同様の伝えがある。能「鞍馬天狗」では、大天狗が牛若丸に兵法を授ける場面が描かれる。この能の影響で、鞍馬の大天狗は「僧正坊」の名で広く知られるようになった。姿は赤ら顔に高い鼻、山伏の装束、一本歯の高下駄、羽団扇、背に翼を負い、鞍馬山僧正坊は愛宕山太郎坊などと並ぶ日本の大天狗の筆頭とされた。

なぜ、この土地で
鞍馬山は古くから「魔界」とされた霊山であり、都(京)の北を護る結界の地でもあった。深い杉木立、木の根の這う道、修験者の行き交う山――人智を超えた力が満ちる場所として畏れられてきた。その山に大天狗が棲み、英雄・義経を育てたと語られたのは、鞍馬山そのものが人ならぬ力の器だったからだ。牛若丸伝説は、いまも鞍馬寺から貴船へと抜ける巡礼の道として、多くの人を霊山へ誘っている。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
絵の出自

赤ら顔に高い鼻、山伏の姿、羽団扇――天狗の像は、鳥山石燕『画図百鬼夜行』や歌川国芳の武者絵、河鍋暁斎「僧正坊 鞍馬天狗 牛若丸」など、江戸の絵師たちによって描き継がれてきた。ここではその系譜を踏まえ、鞍馬の杉木立と月あかりのなかに、大天狗の威と気配を写した。特定の現代作家の図像はなぞらず、いまの筆で。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
畏れと崇敬のあいだ(天狗の両義)
天狗は一面で、慢心のために魔道に堕ちた僧の姿とされ、仏道の戒めを負う。だが鞍馬の僧正坊は、同時に英雄を育てた武芸の師でもあった。畏れと敬い、そのどちらでもあるところに、天狗という妖怪の奥行きがある。
解釈
河童(いたずら)・磯女(渚の畏れ)・ケンムン(境界)に対し、天狗は"畏敬"の顔だ。魔界の主でありながら、剣を授ける師でもある。恐ろしくも尊い――その両義を、怖い妖怪にも神格にも振り切らずに残した。里の小さな妖怪たちに対し、天狗は山の高みに立つ大いなる存在として、日本の妖怪の広がりのもう一方の極を示す。
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