ひとつの体にふたつの顔。国の正史は討たれた者として書き、飛騨と美濃の寺は開いた人として祀る。同じ一人の記録が、千三百年ならんで残っている。
伝承
十一月の第三日曜だけ、山の上の堂の扉が開く。
岐阜県関市、高澤観音。中に立っているのは、ひとつの体に顔がふたつ、腕が四本の像である。寺は、この者がこの寺を開いたと伝えている。山の池に棲んで村に害をなしていた龍を退け、峰に堂を建てた人だと。
同じ者を、国の正史は「誅した」と書いている。
飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。皇命に随わず、人民から略奪することを楽しんでいた。そこで和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。
『日本書紀』仁徳天皇六十五年条(書き下し)——正史は、ここで話を終える。討った、で終わる。
飛騨と美濃では、そこから先が千三百年つづいている。

なぜ、この土地で
宿儺の名を伝える寺は、ひとつではない。
飛騨の千光寺(高山市丹生川町)は、宿儺が千六百年前にこの寺を開いたと伝える。いまは「円空仏の寺」として知られ、六十四体の円空仏を蔵している。美濃の日龍峯寺(関市下之保)は、岐阜県でいちばん古い寺である。こちらの寺伝は、こう書く——高沢の山に池があり、龍が棲んで近郷の村人に害をなしていた。宿儺ははるかな峰に登り、大悲の陀羅尼を唱えて龍を退散させ、その峰に寺を開いた。
山をひとつ越えた二つの土地で、同じ人物が、どちらも「寺を開いた人」として記憶されている。
中央から見れば、従わない辺境の首長だった。土地から見れば、龍を退けた人だった。「まつろわぬ」というのは、中央の側の言い方である。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
討たれた者を、仏として彫った人がいる

円空。寛永九年(一六三二)に美濃で生まれ、元禄八年(一六九五)に没した僧である。生涯に十二万体を彫ったと伝わり、いまも五千四百体あまりが見つかっている。飛騨には、その後期の作が多く残る。
千光寺にある両面宿儺像は、二体。岐阜県の指定解説は「頭髪逆上、目尻も上がり、力に充ちた2体の像」と書く。昭和三十五年に県の重要文化財になった。
正史が異形として書き、討たれたことになっている者を、江戸の僧が鑿で彫り、仏たちの隣に置いた。円空の彫り方は一通りではない。座像では二つの顔を**左右に並べ**、立像では前後に置いて、四本の腕に二丁の斧を持たせている。宿儺堂の石像は、正面も背面も柔和な顔で、それぞれ武器を伴う。
『日本書紀』は「左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた」と書いた。四本の腕は、飾りではない。討つ側がそう書き、祀る側もその手に物を持たせた。
この記事に出した絵は、いまの筆で起こしたものである。円空が彫った像そのものは、千光寺で拝観できる。
三度目の名
近年、この名は漫画『呪術廻戦』を通じて、妖怪に関心のない人にまで広く知られるようになった。千光寺には「宿儺尊」の御朱印を求める参拝者が増えている——と、岐阜県の観光公式も書いている。
正史の異形。寺の開祖。そして、いまの人気。
同じ名前が、時代ごとに別の顔を与えられてきた。ふたつでは、足りないくらいである。
解釈
二つの顔とは、姿のことなのだろうか。
討った側は「一体に二面」と書いた。討たれた土地は「龍を退けた人」と伝えた。どちらも消えていない。片方は国の正史として、片方は年に一度の開帳として、いまも並んで残っている。
異形の姿より、記録が二つあることのほうが、この妖怪の本体に近い気がする。
年に一度、堂の扉が開く。開けているのは、討たれた側の土地の人である。
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