遠野の深山に棲むとされた、背の高い異人。里の女をさらう話や猟師が山中で出会う話が語られ、「神隠し」の説明とも結びついた。
伝承
遠野の山は深い。六角牛、五葉山、早池峰——里をとり囲む峰々の奥には、人に似て人ならぬものが棲むと信じられてきた。背がきわめて高く、眼の色だけが少しちがう。里の人々はこれを「山男」、あるいは「山人(やまびと)」と呼んだ。
こんな話が残っている。──栃内村の佐々木嘉兵衛という猟師が、若いころ山奥へ入ると、岩の上で黒髪を梳く色白の女に出会った。撃つと倒れたが、その丈は高く、髪は身の丈よりも長い。形見にと髪を切り懐へ入れ家路をたどるうち、たえがたい眠気におそわれてまどろむと、夢ともうつつともつかぬ間に、丈の高い男があらわれて懐の髪を取り返し、立ち去ったところで目が覚めた。「山男であろう」と人は語り伝えた。
上郷村のある娘は、栗を拾いに山へ入ったまま帰らず、家の者は枕を形代に葬式をすませた。それから二、三年。村人が五葉山の腰の岩窟で、その娘に出会う。「恐ろしい人にさらわれて、ここにいる。逃げたいが隙がない」と娘は言った。その者は丈がきわめて高く、眼の色が少し凄い。娘は子を産んだが、自分に似ぬといってはどこかへ連れ去られる、と。

なぜ、この土地で
遠野は、早池峰・六角牛・石上の三山に抱かれた山あいの盆地だ。深い山は薪をくれ、獣をくれ、暮らしを支える恵みの場であると同時に、入ったきり帰らぬ者を呑む、畏れの場でもあった。黄昏どきに女や子どもがふいに消える「神隠し」を、遠野の人々は山男・山女の仕業として語った。笛吹峠は、山男山女に出会うといって人々が恐れ、ついに別の峠へ道を移したという。話はみな、いま地図にある山と峠に結びついている。山男とは、この土地の地形そのものがまとう畏れを、人のかたちに映したものだったのだろう。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
絵の出自

霧の深山に立つ、背の高い影。鳥山石燕の妖怪画と、広重の静かな山景の系譜をたどり、藍の濃淡に山の気配を託した。描きこまず、余白に夜の深さを残す。恐ろしげに大写しにするのではなく、霧のむこうに小さく——畏れとは、引き算で立ちのぼるものだから。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
神隠しと山人
山男・山女の話は、しばしば「神隠し」と地続きに語られる。人が忽然と消える出来事を、里の人は山人の世界へ召されたものと受けとめた。河童が水の畏れ、座敷童子が家の福を映すように、山男は山の畏れを映す——遠野の妖怪たちは、土地のどこに畏れと祈りが宿るかを、いまに伝えている。
解釈
山男は、人をさらう畏ろしい存在として語られる一方、山の幸を里に分け与えるものとしても畏れられた。善悪のどちらか一方ではない。遠野の人々にとって山男とは、恵みと危うさをあわせ持つ「山そのもの」の化身であり、山と共に生きる構えを、子から孫へ伝えるための語りでもあった。柳田國男は『遠野物語』の序で、これらを作り話ではなく「目前の出来事」として書きとめている。
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