もののけ、みーつけた YOKAI FOLKLORE
一本だたらの浮世絵

近畿 ・ 奈良県 上北山村・十津川村

一本だたらいっぽんだたら

Ippon-datara ・ 山越えを止める一本足の妖怪

奈良・紀伊の山道に現れる、一つ目一本足の巨人。十二月二十日の「果ての二十日」だけは、伯母峰や果無山を越えてはならないと恐れられた。

壱

伝承

十二月二十日、紀伊山地の道から人が消える。

伯母峰を越えてはならない。果無山を越えてはならない。その日は「果ての二十日」と呼ばれ、山中に一本だたらが出ると恐れられた。

高田十郎が一九二四年に記した果無山の話では、それは一本足の巨人で、目は皿のようだった。ふだんは人を害さない。だが、この日に山を越えれば害されるという。

一本足の巨人が棲んでる。男で眼は皿のやうだ。

高田十郎「大和習俗百話」『郷土趣味』五巻四十九号(一九二四年)の果無山伝承より。旧字の一部を改めた。

大台ヶ原や伯母峰へ行くと、一本だたらは別の過去を持つ。

環境省が紹介する上北山村の語りでは、伯母峰に猪笹王という大猪の魔物がいた。射場兵庫に討たれたあと、その霊魂が一つ目・一本足の鬼となり、山を通る人を襲った。

村人に頼まれた僧が封じたものの、十二月二十日だけは自由にしてよいという条件が残った。伯母峯辻堂には、一本だたらを封じたという地蔵が祀られている。

雪の谷の端に、猪の頭・一つ目・一本足の一本だたらが立ち、背後に地蔵が見える
弐

なぜ、この土地で

伯母峰、大台ヶ原、果無山脈。一本だたらの名は、奈良県南部から紀伊半島の山々に広がっている。

大台ヶ原は多雨で知られ、霧や強風も山道の判断を狂わせる。環境省は、一本だたらの伝承を、厳しい自然と人の関わり方を示す戒めとして紹介している。

「この日は越えるな」という一言は、遠くの山まで届く。天候も道の状態も知らない人にも、山が人の都合で開いているわけではないと伝えられるからだ。

参

絵の出自

この妖怪の「かたち」は、どこから来たか

姿は、山ごとに揺れている

伯母峰の山道で、猪笹王の由来を表す大猪を猟師と犬が遠くから追う
伯母峰に伝わる猪笹王の話から起こした当媒体の挿絵。古典原画ではなく、一本だたらの姿を一つに定めるものでもありません。

一本だたらには、鳥山石燕の図譜のような、誰もが定番とする江戸期の一枚は確認できない。

残っているのは、一本足の巨人、皿のような目、一つ目の鬼、大猪の亡霊といった、土地ごとに揺れる言葉だ。

今回の絵は、上北山村に残る猪笹王の話を入り口にした。大猪の頭と毛塗、一つ目、一本だけの足。ただし、これを全国の一本だたら唯一の姿とはしない。

古典の定番図は確認できていない。本記事の絵は、伯母峰の猪笹王と一本足・一つ目の語りを手がかりにした、いまの筆による視覚仮説である。

肆

一つの山、一つの姿ではない

果無山では、ふだんは人を害さない一本足の巨人。伯母峰では、大猪の魔物の死後に現れた一つ目の鬼。大台ヶ原では、山の自然に謙虚であれと告げる存在とも読まれている。

同じ名前が山を越えて運ばれるたびに、正体も気性も少しずつ変わった。それでも、一本足と十二月二十日だけは、雪の上の一つの足跡のように残り続ける。

伍

解釈

一本だたらは、山の「今日は入るな」を、人の目に見える姿にした妖怪ではないだろうか。

雨、霧、雪、風、崩れる道。それらを一つずつ説明するより、一つ目で山道を見張り、一本足で人より先に峰を越える巨人を置く。そうすれば、子どもでも禁忌の日を忘れない。

もちろん、妖怪をただの気象警報にしてしまえば、伝承の深さは失われる。年に一度、封を解かれるものが本当に山にいる。その恐れまで受け取ったうえで、山に向き合うための物語として読みたい。

本文は出典の内容を自分の言葉で要約したものです。原典の長文転載は行いません。異説がある場合は併記し、確認のとれた情報のみを掲載します。記載に誤り・異説をご存知の方はおたよりからお知らせください。

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