子を奪った猟師を止めるため、僧の白蔵主に化けた甲斐・夢山の老狐。正体を守るため本物の僧を食い、五十年も人の顔で生きたという。
伝承
夢山の麓で、弥作は伯父の白蔵主へ、束ねた狐罠を渡した。
僧は殺生の罪を説き、銭を置き、罠を持ち去った。だが、その日、弥作を訪ねた伯父は、伯父ではない。
弥作は狐を罠で捕らえ、皮を売る猟師だった。子を次々と奪われた老狐が、宝塔寺の僧・白蔵主に化けていたのである。
本物の白蔵主に会われれば、化けたことが露見する。老狐は先回りして僧を食い殺し、今度はその名と暮らしを奪った。白蔵主として宝塔寺に住み、五十年を過ごしたという。
犬がその僧へ飛びかかったのは、五十年後だった。村人の前でかみ殺された体から、銀の針のような尾毛を持つ、白い老狐が現れた。
白蔵主の事は狂言にも作り、よく人の知るところなれば、ここに略しつ。
『絵本百物語』「白蔵主」の画中文より。読みやすい字体と句読点に改めた。一行は、白蔵主の話が当時すでに狂言でよく知られていたことを示す。ただし、現在伝わる狂言「釣狐」の筋と、『絵本百物語』の筋は同じではない。
「釣狐」の老狐は、白蔵主に化けて猟師を説得し、罠を捨てさせる。ところが帰り道、罠の餌が欲しくなり、自ら正体に戻って罠にかかる。
一方、甲斐の話はもっと冷たい。老狐は正しいことを説きながら、その正しさを保つために本物の僧を食う。僧衣は、化けるための見た目だけでなく、五十年間、狐の行いを人の徳に見せる表皮となった。

なぜ、この土地で
『絵本百物語』が舞台とするのは、甲斐国の夢山と宝塔寺である。
現在の甲府市公式の散策地図には、市街地北部、大泉寺の東側に「夢見山」が載る。名称と地理は似ているが、公式資料はここを白蔵主の夢山や宝塔寺とは説明していない。そのため、現在地を断定はしない。
ただ、甲府駅から北へ進み、寺の東に小さな山が立つ景色は今もたどれる。大泉寺は武田信虎が建てた寺で、甲府市古府中町に現存する。白蔵主の話を現地で考えるなら、伝承の場所を決めつけるのではなく、山と寺がどう見えるかを確かめるのがよい。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
僧と狐の境目を描かない

「白蔵主」は、桃山人の『絵本百物語』に収められ、竹原春泉斎が描いた。
春泉斎は、狐と僧を並べて描かない。古びた僧衣をまとい、木の根元で身をかがめるひとつの体として描く。老僧の頭と狐の顔が分けられない。
左手は衣の中へ沈み、背と肩は丸く、顔だけが横を向く。人間の形に狐を追加したのではない。五十年間、僧であり続けた狐の体だからこそ、どこからが人で、どこからが獣かを決められない。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
狂言に残った狐
狂言「釣狐」では、化けた狐は本物の僧を食べない。猟師を理詰めで説得した後、自分が餌の匂いに負ける。
日本芸術文化振興会は、その「理性と本能のせめぎあい」を見どころに挙げる。特殊な姿勢、足運び、身振りによって、人の言葉を話しながら、人ではない体を舞台上に残す。
甲斐の本と狂言は、同じ白蔵主から異なる恐ろしさを引き出した。ひとつは、人の皮を長く着続ける恐ろしさ。もうひとつは、どれほど賢く化けても、獣の欲望が消えない恐ろしさである。
解釈
白蔵主が恐ろしいのは、化け方が上手だからだけではない。
老狐が弥作に説いた「殺生をやめろ」という言葉は、化けているからといって嘘とは限らない。子を殺された狐にとって、それは切実な願いだった。
それでも、正体を守るために本物の僧を食い、その名で五十年を生きた。善い言葉と、善い行いと、その奥にある野獣は、ひとつの体の中に同居する。
人に化けた狐ではない。人として生きすぎた狐である。
犬に噛まれ、僧衣の下から白い毛が現れる瞬間まで、誰もその境目を見破れなかった。
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