助かったと思って上陸した島は、背に砂を積もらせた巨大な赤えいだった。船が離れると島は沈み、海そのものが動きはじめる。江戸の本に描かれた海の怪異。
伝承
水を飲もうとして、船乗りは口を止めた。
島のくぼみに溜まっていたのは、どれも塩水だった。草木は見慣れず、岩の隙間には魚がいる。二、三里歩いても人家はない。嵐に流され、ようやく陸へ上がったはずなのに、どこにも陸らしいものがなかった。
又吉と佐吉たちが船へ戻り、沖へ離れたとき、島は海の底へ沈んだ。
島ではない。背に砂を積もらせた、巨大な赤えいだった。
この魚、その身の丈三里に余れり。背に砂たまれば落さんと海上に浮べり。その時、船人、島なりと思ひ船を寄れば、水底に沈めり。
『絵本百物語』「赤ゑいの魚」の画中文字より。読みやすい字体と句読点に改めた。『絵本百物語』は、安房国の野島ヶ崎にいた船頭、又吉と佐吉の話として語る。大船には二十六人が乗り、嵐で漂流するうち三人を失った。残った者たちが見つけたのが、どことも知れない島だった。
上陸して歩き回っても、人も家も見つからない。水たまりまで塩辛い。諦めて船を出したあとで、彼らはようやく、自分たちが歩いていたものの正体を知る。
絵に添えられた文は、赤えいが浮かぶ理由を「背にたまった砂を落とすため」とする。船を寄せれば魚は沈み、その波で船が壊れることもある。怪魚に食われるのではない。陸だと思ったことそのものが、危険になる。

なぜ、この土地で
物語の出発点は、安房国の野島ヶ崎である。
現在の野島崎は、房総半島の最南端、南房総市白浜町にある。海へ細く突き出した岬の先に立てば、視界の大半を太平洋が占める。いまは白い野島埼灯台が船へ陸の位置を知らせているが、又吉と佐吉の話に灯台はまだない。
ここで大切なのは、赤ゑいが野島崎に棲んでいたと決めつけないことだ。原典が示すのは、船頭たちが野島ヶ崎から出たことまで。漂着した海も、巨大魚が沈んだ場所も「いずことも知らぬ」とされる。
だから野島崎は妖怪の住所ではなく、既知の陸を離れる境目である。岬を出た船は、嵐のあと、島と魚の区別さえつかない海へ入っていく。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
魚の身体で、地形を描く

「赤ゑいの魚」は、桃山人の『絵本百物語』に収められ、竹原春泉斎が描いた。
原画を最初に見ると、いくつもの砂州が浮かぶ静かな海景に見える。小舟を降りた人々は、広い浅瀬の上を歩いている。ところが左下をよく見ると、岸だと思った輪郭の内側に、大きな目がひとつ開いている。
春泉斎は赤えいの全身を見せない。尾も、左右の鰭の端も、画面の外へ消えている。魚を描いたというより、魚の身体で地形を描いた。人間は小さすぎて、目のすぐ近くまで来ても全体を見渡せない。
この一枚の仕掛けは、物語と同じ順序で働く。先に島を見せ、あとから魚だと気づかせる。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
解釈
船乗りたちは、景色を見誤ったのではない。
砂があり、岩のような起伏があり、水たまりがある。足で何里も歩ける。人が島だと判断する条件は、ほとんど揃っていた。足りなかったのは、地面が動かないという保証だけである。
この話の怖さは、巨大さそのものより、尺度が役に立たなくなるところにある。魚なら一目で全身が見えるはずだ。島なら突然沈まないはずだ。けれども赤ゑいの魚は、大きすぎて、どちらの物差しにも収まらない。
水が塩辛かったことも、岩の隙間に魚がいたことも、あとから思えば手がかりだった。異常は隠されていない。ただ、人はそれを島の風景として読み替えてしまう。
赤ゑいの魚が化けたのではない。人間の「これは陸だ」という確信のほうが、島をつくった。
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