後頭部にもうひとつ口ができ、髪が食べ物を運ぶ。ひとつの口を減らした女に、ひとつの口が増えた——江戸の『絵本百物語』が、下総国のある家のこととして書きとめた妖怪。
伝承
釜の蓋を開けて、飯を茶碗によそう。ひとつ、ふたつ、みっつ。この家に何人いて、何杯いるのか。昔の家では、それが毎日の計算だった。人がひとり増えれば茶碗がひとつ増え、減ればひとつ減る。
だから人は「口」で数えられた。ひと口、ふた口。食べさせる口がいくつあるかが、そのまま家の重さだった。
下総国のある家、とだけ書かれている。村の名も、家の名も出てこない。そういう家のどれかで、ある日、茶碗がひとつ、減らされた。
ある家に後妻が入った。先妻の子には食事をろくに与えず、その子はとうとう飢えて死んでしまう。四十九日が過ぎたころ、夫が薪を割っていて、誤って妻の後頭部に斧を当てた。傷は塞がらなかった。かわりに、じわじわと人の唇のかたちに変わっていった。頭蓋の一部が歯になり、肉の一部が舌になった。その口は、時刻が来ると痛みだす。食べ物を入れてやると、痛みが引く。
桃山人『絵本百物語』(天保十二年=一八四一年刊とされる)「二口女」の記述より要約やがて口は、しゃべりはじめた。心得違いから先妻の子を殺してしまった、と。女自身の声で、女自身の罪を語ったのである。
食べさせるとき、女の手は使われない。運ぶのは髪だ。蛇のようにうねって、床に置かれた飯を後頭部の口へはこぶ。女は座ったまま、自分の頭のうしろが食べ終わるのを待っている。
この話には、退治の場面がない。祈祷も、退散も、めでたい後日談もない。増えた口は減らないまま、話はその家のなかで閉じる。

なぜ、この土地で
下総国は、いまの千葉県北部と、茨城県南西部にあたる。葛飾・千葉・印旛・匝瑳・相馬・猿島・結城・岡田・海上・香取・埴生の十一郡。国府は市川市の国府台に置かれた。一九九五年からの発掘で、そこにあったことは考古学的にほぼ確実とされている。ただし国庁そのものの正確な位置は、いまもわかっていない。
家の名を書かれなかった妖怪と、位置の定まらない国庁。同じ国のなかに二つ並んでいるのは、偶然だとしても、少し面白い。
なお、この話が下総に実際に伝わっていたものではなく、桃山人の編んだものだろうという指摘はある。ただ、延宝五年(一六七七)の怪談集『諸国百物語』の巻三には「下総の国にて継子を悪みてわが子にむくふ事」という題の一話がある。二口女より百六十四年前の本だ。本文を確かめていないので、同じ話だとは書けない。それでも〈下総国・継子への仕打ち・その報い〉という三つの取り合わせは、その時点ですでに下総に結びついていた。桃山人は、まっさらな地図の上で舞台を選んだわけではないらしい。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
春泉斎は、この座敷の何を見たか

絵を描いたのは竹原春泉斎。『絵本百物語』一冊のために筆をとった絵師である。原画は、この記事の「伝承」の末尾に置いた(『絵本百物語』・パブリックドメイン)。
この絵、少し離れて見てほしい。
行灯がともっている。床に飯が置いてある。女が一人、こちらに背を向けて座っている。着ているものは、ちゃんとした着物だ。——それだけなら、ただの夕餉の絵である。給仕する者がいて、食べる者がいて、灯りがある。どこの家にもある晩の風景だ。
ちがうのは、給仕しているのが本人の髪で、食べているのが本人の後頭部だ、というところだけ。春泉斎はこの一枚を、化け物が出る場面としてではなく、ひとつの食事として描いた。女の手が膝の上で遊んでいるのも、そのためだと思う。手を使えば「怪異と戦っている絵」になってしまう。使わせなければ、これは食事のままでいられる。
絵師の目を借りるというのは、こういうことだ。恐ろしいものを恐ろしく描くのは誰でもやる。この人は、恐ろしいものをいつもの晩ごはんのかたちで描いた。
ちなみに、鳥山石燕はこの妖怪を描いていない。石燕の四部作は天明四年(一七八四)に完結し、石燕自身は天明八年(一七八八)に没している。『絵本百物語』が出るのは、それから半世紀ののちである。江戸の妖怪画をつい「石燕」とひとまとめに呼びたくなるが、描き手は何人もいる。
この段に添えた一枚は、春泉斎の目線を借りてわたしたちがいまの筆で描いたもの。原画(「伝承」の末尾・パブリックドメイン)と見くらべてほしい。背を向けさせ、髪に運ばせ、部屋はただの座敷にする——道具も紙も違っても、同じところに立って、同じものを見ようとしている。
いまも、口で数えている
河童は川にいる。天狗は山にいる。だから川が変わり、山に道が通れば、いなくなったことにできる。妖怪を追い出すのにいちばん確実なやり方は、棲みかのほうを消してしまうことだ。
二口女には、それが効かない。川にも山にもいなかったからである。この妖怪がいたのは、飯を置いた床のそばだ。
床は、まだある。
「うちは四人家族です」と言うとき、私たちは人を数えている。それを「四人食べさせていく」と言い直したとたん、数えているものが変わる。食費、給食費、扶養。呼び名は新しくなったけれど、釜の前の計算は、あの座敷から一度も途切れていない。
春泉斎が異界を描かなかったのは、たぶんそのせいだ。行灯と、飯と、背を向けた女。それで足りると踏んだのは、この計算がなくなる日は来ないと知っていたからだと思う。
夕飯のあと、うしろのほうで、かすかに噛む音がする。振り返れば、たぶん、何もいない。
——ただ、後頭部というのは、どうやっても振り返れないところにある。
解釈
はじめに書いた数え方に、戻ってみる。人は「口」で数えられていた。口が増える、口が減る、食い扶持。飢饉のたびに繰り返された「口減らし」という言葉も、この数え方の上に立っている。
そう置くと、この妖怪のかたちがはっきりする。ひとつの口を減らした女に、ひとつの口が増えた。減らした分は消えていなかった。彼女の頭のうしろに移っただけだった。しかもその口は、彼女の手ではなく髪に養わせる。家の口を養うという役目そのものが、彼女の身体に住みついたのである。
よく混同される「食わず女房」は、向きが逆だ。あちらは、飯を食わない嫁の正体が山姥や鬼だったという話——妖怪が人に化ける話である。二口女は、人が妖怪になる話だ。外から来るのではなく、内から出てくる。この向きでいえば、親戚は、膝や肩に人の顔が生じるという人面瘡のほうだろう。『絵本百物語』自身、これを妖怪ではなく業病として説明している。
本媒体がこの妖怪の入口に差し出す一語は「飢え」とした。害意でも、恨みでもない。あの口が求めているのは、ただ食べ物である。
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