炎の中を、入道の顔をつけた車輪がひとりで転がる。見た者は魂を失うが、戸口の一枚の札だけは、その怪異を家の内へ近づけない。
伝承
夜の道を、車輪がひとつで転がってくる。
車軸の真ん中にあるのは、入道の大きな顔。輪の周りでは炎がうねり、牛も人もいないのに、それ自身が道を巡っている。
鳥山石燕は、この姿を見た者は魂を失うと書いた。輪入道が人をつかまえる場面はいらない。見てしまった時点で、もう間に合わない。
その一方で、石燕は逃げ道も一つだけ残している。
車の轂に大なる入道の首つきたるが、かた輪にてをのれとめぐりありくあり。これをみる者魂を失ふ。此所勝母の里と紙にかきて家の出入の戸におせば、あへてちかづく事なしとぞ。
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』「輪入道」より。戸口に貼るのは、「此所勝母の里」と書いた紙だった。
「勝母」は、母に勝つと読める名を不孝とし、曾子がその里を避けたという中国古典の逸話をふまえた言葉と解されている。ただし、なぜその文句が輪入道に効くのか、石燕は説明しない。
炎の怪物を退けるのは、武器でも経文でもない。墨で書かれた、奇妙な一行である。

なぜ、この土地で
石燕の「輪入道」の詞書には、現れる土地の名はない。
京都・東洞院通と結びつくのは、百年ほど前の延宝五年(一六七七)に刊行された『諸国百物語』「京東洞院かたわ車の事」である。そこには、人々が見るのを避けた、ひとりで転がる車輪の怪談がある。
男の顔が車輪の中央にある古い挿絵も、後の輪入道と響き合う。そのため片輪車譚は祖型の一つと考えられてきた。
ただし、石燕は同じ『今昔画図続百鬼』で、「片輪車」と「輪入道」を別の図として並べている。二つは似ているが、同じ妖怪と決めつけない。東洞院通は、輪入道そのものの確定地ではなく、その姿に至る古い車輪譚の舞台としてたどる。
現在の東洞院通は、京都御苑の南側から京都駅付近まで南北に伸びる。京都市下京区の解説によれば、かつては伏見港と都心を結ぶ物流路で、牛車の車輪幅に合わせた「車石」も敷かれたという。車輪の妖怪を聞く土地に、かつて車の音が絶えなかった道の履歴が重なる。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
炎の輪に、顔が縛られる

「輪入道」は、鳥山石燕の安永八年(一七七九)刊『今昔画図続百鬼』に収められる。
石燕は、炎の車輪を斜めに大きく描いた。顔は車輪の中心から外れられず、のけぞるように道の先を睨んでいる。手足のある怪物ではなく、顔そのものが車輪に縛られたような姿である。
同じ巻には、女が燃える車輪に乗る「片輪車」も描かれている。石燕はひとつの伝承を一枚にまとめず、似たモチーフを二つの怪異として見せた。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
見るな、と書く
輪入道の話には、二つの動作しかない。
見る。書く。
見れば魂を失い、書いた紙を戸に貼れば、怪異は入ってこない。目から入る危険に、文字で境界を引く。
夜道全部を守ることはできない。それでも戸口の一枚なら、家にいる者の手で書ける。
車輪の炎よりも、それを止めるたった八文字のほうが、輪入道を忘れがたい妖怪にしている。
解釈
輪入道は、追いつかれる恐怖ではない。
自分から見てしまう恐怖である。
道の奥が明るくなる。車輪の輪郭が現れる。真ん中に顔がある。気づいたときには、もうそれを「見た」ことになっている。
けれど、人は見ることを止められなくても、戸を閉じ、その外に言葉を置くことはできる。
輪入道は、視線を奪う妖怪であり、同時に、文字が戸になる怪談である。
本文は出典の内容を自分の言葉で要約したものです。原典の長文転載は行いません。異説がある場合は併記し、確認のとれた情報のみを掲載します。記載に誤り・異説をご存知の方はおたよりからお知らせください。
