佐渡の夜道、行く手に小さな坊主が立っている。見上げるほどに背が伸びていく。こちらが見上げるから大きくなる妖怪で、「見越した」と先に言えば消えるという。
伝承
夜の坂道で、行く手に子どもほどの坊主が立っている。
道をふさぐでもなく、こちらを呼ぶでもない。ただ立っている。やり過ごそうとして、顔だけでも見ておこうと、少し見上げる。
——見上げた分だけ、背が伸びる。
佐渡の夜道に、小坊主のようなものが立つ。見上げれば見上げるほど背が高くなり、ついには覆いかぶさるほどになる。「見上入道、見越した」と唱えれば消える。前に打ち伏す、杖で叩き付ける、棒で足を叩く、とも伝わる。
柳田國男『妖怪談義』および小山直嗣『新潟県伝説集成 佐渡篇』(恒文社・1996)ほかに伝わる佐渡の話より要約話の採られた場所に、名が残っている。羽茂の辻堂坂、両津の歌見、赤泊、畑野。いまはどれも佐渡市である。島の一箇所の怪異ではなく、島じゅうで語られてきた。
退け方が、ひとつではない。唱える。前に打ち伏す。杖で叩く。棒で足を叩く。言葉と、体と、道具。——並べてみると、どれも上を見ないやり方である。

なぜ、この土地で
佐渡は島だが、歩くと広い。北に大佐渡、南に小佐渡の山地があり、そのあいだに国仲平野が横たわる。集落と集落のあいだには、たいてい坂か峠がある。
見上入道の出た場所として名の残る「辻堂坂」は、辻と、堂と、坂が、そのまま一つの地名になっている。夜道で人が立ち止まるところが、全部入っている。
夜、隣の集落へ行くには歩くしかない。提灯の光は足元しか照らさない。道の先は、見上げないと分からない。
佐渡は人の出入りの多い島でもあった。流された人が住み、金銀山に人が集まり、小木の港には北前船が寄った。歩く人が多ければ、夜道の話も増える。
絵の出自
この妖怪の「かたち」は、どこから来たか
話は佐渡に、絵は江戸に

見上入道の絵は、佐渡の側には見当たらない。話として語られ、話のまま残った。
絵のほうは江戸にある。鳥山石燕『画図百鬼夜行』の「見越」、佐脇嵩之『百怪図巻』の「見越入道」、北尾政美『夭怪着到牒』、十返舎一九『信有奇怪会』。そこでは大きな坊主頭と、長く伸びた首として描かれた。
佐脇嵩之の一枚は、目に癖がある。大きく見開いた目の、左右が同じ方を見ていない。杖を両手で握って、こちらを覗き込んでいる。
全国には次第高、高入道、高坊主、伸上り、乗越入道と、似た呼び名が並ぶ。「見上入道」は、その佐渡での呼び名にあたる。
本記事の絵は、両方を入れた。佐渡の話が言うとおり、まず体そのものが大きくなり、そのうえで、江戸の絵が描いたとおり首が伸びている。いまの筆で。
石燕は木版、のちの絵師は墨と筆。わたしたちもまた、いまの筆で。道具は変わっても、向き合う相手は同じ——夜の向こうの、見えないもの。
見上げると大きくなる、という一群
見越し入道、次第高、高入道、高坊主、伸上り、乗越入道。似た呼び名が全国に並ぶ。
本媒体には、宮崎のヤンボシがいる。夜の山道に人のかたちの大きな影が立ち、見上げるほどに広がる。同じ怪異である。
けれど、名前の作り方が逆だ。ヤンボシの名は「山伏」に由来するとされる——相手が何者かを名にしている。見上入道はこちらが何をしたかを名にしている。
同じものを前にして、南では相手に名を付け、佐渡では自分の動作に名を付けた。
解釈
この妖怪の名は、姿でできていない。こちらの動作でできている。
河童は川、山姥は山、雪女は雪。ものや場所が名になる。けれど見上入道の「見上げる」は、妖怪がすることではない。こちらがすることだ。
伝わっている退け方を並べると、どれも同じことを言っている。「見越した」と唱える。前に打ち伏す。杖で叩く。棒で足を叩く。——上を見ない。
相手が伸びるのは、こちらが見上げているあいだだけである。だから勝ち方は、倒すことではなく、見るのをやめることになる。「見越した」は、見上げるのをやめて先を越す、という宣言である。本媒体がこの妖怪の入口に差し出す一語は「挑み」とした。高さで挑んでくる相手に、こちらは高さで応じない。
名前が動作でできている妖怪は、こちらが動作をやめれば、名前ごと消える。夜道で背が伸びていくものの高さを決めていたのは、自分の首の角度だった。
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